
孫子は「孫子の兵法」とも呼ばれ、元々は中国の春秋時代に活躍した兵法家 孫武(紀元前535年〜?)が記したものとされています。孫子は 2500年以上前の書物ですが、その内容は現代でも十分通用するものが多く、様々な教訓を示唆してくれます。
そこでこのページでは、孫子の名言として厳選した十の言葉を簡潔にまとめてご紹介します。
各名言はリンク先で詳しく説明していますので、気になった言葉は確認してくださいね。
孫子の名言 10選
孫子の兵法に出てくる名言を順番に見ていきましょう。
兵は詭道なり
「兵は詭道なり(へいはきどうなり)」は孫子の兵法の第一章「計篇」に出てくる一節で、「戦争とは騙し合いである」という意味です。
「兵は詭道なり」の一節
兵は詭道なり。ゆえに能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓だし、卑にしてこれを驕らせ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す。
その無備を攻め、その不意に出ず。これ兵家の勝にして、先には伝うべからざるなり。
「兵は詭道なり」の現代語訳
戦争とは、騙し合いである。だから、本当はできることもできないように見せかけるし、必要であっても必要でないように見せかける。また、実際は目的地に近づいているのに遠く離れているかのように見せかけ、目的地から遠く離れているのに近づいたかのように見せかける。
敵が利益を欲しがっている時は利益を餌に敵を誘い出し、敵が混乱していればその隙に奪い取り、敵の戦力が充実している時は敵の攻撃に備えて防禦を固める。 敵の戦力が強大な時は戦いを避け、敵が怒り狂っている時はわざと挑発してかき乱し、敵が謙虚な時は低姿勢に出て驕りたかぶらせ、敵が休息十分であれば疲労させ、 親しい間柄であれば分裂させる。
こうして敵が攻撃に備えていない地点を攻撃し、敵が予想していない地域に出撃する。このように、兵家の勝ち方とは臨機応変の対応によるものであるから、あらかじめどのような方法で勝つかは人に話すことはできないのである。
算多きは勝ち、算少なきは勝たず
「算多きは勝ち、算少なきは勝たず(さんおおきはかち さんすくなきはかたず)」は孫子の兵法の第一章「計篇」に出てくる一節で、「勝利の条件が多い方は実戦でも勝利するし、勝利の条件が少ない方は、実戦でも敗北する」という意味です。
「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」の一節
いまだ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。いまだ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。
算多きは勝ち、算少なきは勝たず。しかるをいわんや算なきにおいてをや。われこれをもってこれを観るに、勝負見わる。
「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」の現代語訳
そもそもまだ戦わないうちから作戦会議で既に勝つと確信するのは、五事・七計を基に得られた勝利の条件が、相手よりも多いからである。まだ戦っていない段階で勝つ見込みがないのは、勝利の条件が相手よりも少ないからである。
勝利の条件が多い方は実戦でも勝利するし、勝利の条件が少ない方は、実戦でも敗北する。ましてや勝算が一つもないというのは、何をかいわんやである。私はこうした基準によって戦いの行方を観察しているので、勝敗は目に見えるのである。
百戦百勝は善の善なる者に非ず
「百戦百勝は善の善なる者に非ず(ひゃくせんひゃくしょうはぜんのぜんなるものにあらず)」は孫子の兵法の第三章「謀攻篇」に出てくる一節で、「百回戦って百回勝つのが最善ではない。戦わずして勝つのが最善である」という意味です。
「百戦百勝は善の善なる者に非ず」の一節
軍を全うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ。旅を全うするを上となし、旅を破るはこれに次ぐ。卒を全うするを上となし、卒を破るはこれに次ぐ。伍を全うするを上となし、伍を破るはこれに次ぐ。
このゆえに百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。
「百戦百勝は善の善なる者に非ず」の現代語訳
軍団を降伏させるのが上策であって、軍団を打ち破るのは次善である。旅団を降伏させるのが上策であって、旅団を打ち破るのは次善である。大隊を降伏させるのが上策であって、大隊を打ち破るのは次善である。小隊を降伏させるのが上策であって、小隊を打ち破るのは次善である。
だから、百回戦って百回勝つのが最善ではない。戦わずして勝つのが最善である。
彼を知り己を知れば百戦して殆うからず
「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず(かれをしりおのれをしれば ひゃくせんしてあやうからず)」は孫子の兵法の第三章「謀攻篇」に出てくる一節で、「敵の実情を知り、己の実情を知っていれば、百回戦っても敗れることがない」という意味です。
「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」の一節
勝を知るに五あり。
戦うべきと戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。上下の欲を同じくする者は勝つ。虞をもって不虞を待つ者は勝つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ。
この五者は勝を知るの道なり。ゆえに曰わく、彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。彼を知らずして己を知れば一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必らず殆うし。
「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」の現代語訳
勝利を知るのに五つの要点がある。
戦うべき時と戦ってはならない時とを知っている者は勝つ。大軍と寡兵それぞれの用兵をわきまえている者は勝つ。上下の意思統一ができている者は勝つ。自分たちは十分に準備し、準備していない敵を待ち受ける者は勝つ。将軍が有能であり、君主が余計な干渉をしなければ勝つ。
この五つの要点が、勝利を知る道である。だから「敵の実情を知り、己の実情を知っていれば、百回戦っても敗れることがない」と言うのだ。敵を知らず自分ことのみを知っている状態なら、その時次第で勝ったり負けたりする。敵を知らずに自分のことも知らなければ、戦う度に必ず敗れる危険がある。
善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり
「善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり(よくたたかうものは かちやすきにかつものなり)」は孫子の兵法の第三章「謀攻篇」に出てくる一節で、「戦上手と呼ばれた人は、勝ちやすい状況で勝つべくして勝った人たちである」という意味です。
「善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり」の一節
古のいわゆる善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。
ゆえに善く戦う者の勝つや、智名もなく、勇功もなし。ゆえにその戦い勝ちて違わず。違わざる者は、その措くところ必ず勝つ。すでに敗るる者に勝てばなり。ゆえに善く戦う者は不敗の地に立ち、しかして敵の敗を失わざるなり。このゆえに勝兵はまず勝ちてしかるのちに戦いを求め、敗兵はまず戦いてしかるのちに勝ちを求む。
「善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり」の現代語訳
昔のいわゆる戦上手と呼ばれた人は、勝ちやすい状況で勝つべくして勝ったのである。
戦上手の人は勝利しても、智謀も評価されず武勇も評価されない。勝つべくして勝っているだけである。勝ちが確実な者は、すでに敗れる定めの敵に勝っているのである。だから、戦上手は、絶対負けない条件を整えた上で敵のスキを逃すことがないのだ。そのため、勝利する軍隊は戦う前にまず勝つための条件を整えてから戦いをはじめるが、負ける軍隊は戦いを始めてから何とか勝とうとするのである。
戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ
「戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ(たたかいは せいをもってごうし きをもってかつ)」は孫子の兵法の第五章「勢篇」に出てくる一節で、「戦いとは、正攻法を用いて敵と対峙し、奇策を巡らせて勝つものである」という意味です。
「戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ」の一節
およそ戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ。ゆえに善く奇を出だす者は、窮まりなきこと天地のごとく、竭きざること江河のごとし。
終わりてまた始まるは、日月これなり。死してまた生ずるは、四時これなり。声は五に過ぎざるも、五声の変は勝げて聴くべからざるなり。色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからざるなり。味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗むべからざるなり。
「戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ」の現代語訳
戦いとは、正攻法を用いて敵と対峙し、奇策を巡らせて勝つのである。だから、奇策を効果的に用いる者は、天地の動きのように定まることがなく、長江・黄河の流れのように終わりがない。
終わってもまた新たに始まるのは太陽と月のようでもあり、四季の季節のようでもある。音には五つの種類しかないが、その五つの音の組み合わせは多様で聴き尽くせない。色は五つの種類しかないが、その五つの色の組み合わせは多様で見尽くせない。味は五つの種類しかないが、その五つの味の組み合わせは多様で味わい尽くせない。
人を致して人に致されず
「人を致して人に致されず(ひとをいたして ひとにいたされず)」は孫子の兵法の第六章「虚実篇」に出てくる一節で、「戦巧者は、自分が主導権を取り、相手のペースで動かされない」という意味です。
「人を致して人に致されず」の一節
孫子曰く、およそ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す。ゆえに善く戦う者は、人を致して人に致されず。
よく敵人をしてみずから至しむるは、これを利すればなり。よく敵人をして至るを得ざらしむるは、これを害すればなり。ゆえに敵佚すればよくこれを労し、飽けばよくこれを饑えしめ、安ければよくこれを動かす。
「人を致して人に致されず」の現代語訳
先に戦場にいて敵軍の到着を待ち受ける軍隊は楽だが、あとから戦場にたどり着いて、休む間もなく戦闘に入る軍隊は疲れる。したがって戦巧者は、自分が主導権を取り、相手のペースで動かされない。
敵を上手くおびき寄せることができるのは、利益を見せて釣るからである。敵を上手く遠ざけることができるのは、デメリットになることを見せて来させないようにするからである。敵が休息をとって楽にしているのであれば疲れさせ、腹いっぱいなら飢えさせ、留まっているなら動かすのである。
実を避けて虚を撃つ
「実を避けて虚を撃つ(じつをさけて きょをうつ)」は孫子の兵法の第六章「虚実篇」に出てくる一節で、「敵が備えをする「実」の部分を避けて、備えが手薄な「虚」の部分を攻撃する」という意味です。
「実を避けて虚を撃つ」の一節
兵の形は水に象る。水の形は高きを避けて下きに趨く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。
水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝ちを制す。ゆえに兵に常勢なく、水に常形なし。よく敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。ゆえに五行に常勝なく、四時に常位なく、日に短長あり、月に死生あり。
「実を避けて虚を撃つ」の現代語訳
軍の態勢は水のようなものである。水の流れは高いところを避けて低いところへと流れるが、軍の態勢も、敵が備えをする「実」の部分を避けて、備えが手薄な「虚」の部分を攻撃する。
水は地形によって流れを決めるが、軍も敵軍の態勢に応じて勝利を決する。だから軍には決まった勢いというものがなく、決まった形もない。敵の出方によって変化して勝利を得る。これこそ計り知れない神業である。陰陽五行において常に勝ち続けるものはないし、四季はいつまでも留まることがない。日の長さには長短があり、月には満ち欠けがあるのである。
囲師には必ず闕く
「囲師には必ず闕く(いしにはかならずかく)」は孫子の兵法の第七章「軍争篇」に出てくる一節で、「包囲した敵軍には逃げ道を開けておき、窮地に追い込まれた敵軍を攻撃し続けてはならない」という意味です。
「囲師には必ず闕く」の一節
兵を用うるの法は、高陵には向かうことなかれ、丘を背にするには逆うことなかれ、佯り北ぐるには従うことなかれ、鋭卒には攻むることなかれ、餌兵には食らうことなかれ、帰師には遏むることなかれ、囲師には必ず闕き、窮寇には追ることなかれ。
これ兵を用うるの法なり。
「囲師には必ず闕く」の現代語訳
用兵の原則は、高い丘にいる敵に向かって攻めてはならない、丘を背にして攻めてくる敵を迎え撃ってはならない、険しい地勢にいる敵と長く対峙してはいけない、偽りの退却をする敵を追ってはならない、士気の高い兵には攻撃を仕掛けてはならない、囮の兵士に攻撃してはならない、母国に退却しようとしている敵軍をふさいではならない、包囲した敵軍には逃げ道を開けておき、窮地に追い込まれた敵軍を攻撃し続けてはならない。
これが戦いの原則である。
先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん
「先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん(まずそのあいするところをうばわば すなわちきかん)」は孫子の兵法の第十一章「九地篇」に出てくる一節で、「まず敵が大切にしているものを奪取すれば、敵はこちらの思いどおりにできる」という意味です。
「先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん」の一節
いわゆる古の善く兵を用うる者は、よく敵人をして前後相及ばず、衆寡相恃まず、貴賤相救わず、上下相収めず、卒離れて集まらず、兵合して斉わざらしむ。利に合して動き、利に合せずして止む。
あえて問う、敵衆く整いてまさに来たらんとす。これを待つこといかん。曰く、先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん、と。兵の情は速やかなるを主とす。人の及ばざるに乗じ、虞らざるの道により、その戒めざるところを攻むるなり。
「先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん」の現代語訳
昔の戦巧者は、敵の前軍と後軍との連絡ができないようにさせ、大部隊と小部隊とが助け合えないようにさせ、身分の高い者と低い者とが互いに救い合わず、上下の者が互いに助け合わないようにさせ、兵士たちが分散して集中しないようにし、集中しても整わないようにさせた。こうして、味方に有利な状況になれば行動を起こし、有利にならなければ次の機会を待ったのである。
あえて聞くが「敵が秩序だった大軍で味方を攻めようとしている時は、どのようにして迎え撃つのか?」まず敵が大切にしているものを奪取すれば、敵はこちらの思いどおりにできる。戦いは迅速が第一である。敵の準備が整わないうちに、思いがけない方法を使い、敵の備えのない所を攻撃することだ。
以上、10の孫子の名言をまとめてご紹介しました。
偉人たちの名言は、私たちが生きる上で多くの気づきを与えてくれます。今回ご紹介した「孫子の名言」の中であなたの心に残った言葉はいくつありましたか?