名言集

武田信玄の名言 7選

武田信玄の名言

武田信玄(1521年12月1日〜1573年5月13日)は、甲斐源氏の嫡流として戦国時代に活躍した戦国大名で、川中島の戦いなどで争った上杉謙信のライバルとしても有名な人物です。

武田信玄について

武田信玄(1521年12月1日〜1573年5月13日)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。

甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化し国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃への帰還中に病没した。

引用元:Wikipedia

個性的な家臣団をまとめ上げ、戦上手としても知られた武田信玄ですが、数多くの名言を残しています。

今回は、その中から、時を超えて現代においても、人生に様々な示唆を与えてくれる「武田信玄の名言集」として5つの名言を独断と偏見で選んでご紹介してみましょう。

名言の一部はリンク先で詳しくご紹介していますので、ぜひ確認してくださいね。

武田信玄の名言 7選

    武田信玄の名言

  • 人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり
    人の心を味方につけることによって国を守ることができる
  • 我、人を使うにあらず。その業を使うにあり
    私は人を使っているのではなく、その人の持っている力や技能を使っているのだ
  • 為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人のはかなき
    やればできることであっても、最初から無理だと諦めてしまうところに、人の弱さがある
  • 負けまじき軍に負け、亡ぶまじき家の亡ぶるを、人みな天命と言う。それがしに於いては天命とは思はず、みな仕様の悪しきが故と思うなり
    負けるはずのない戦に負け、亡ぶはずのない家が亡ぶのを、人はみな天命と言うが、私は天命とは思わない。そのやり方が悪かったからだと思う
  • 百人のうち九十九人に誉めらるるは、善き者にあらず
    100人のうち99人に誉められる者は、決していい人物ではない
  • 戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生ず
    戦いは五割くらいの勝率が一番良い。七割勝つと手抜きを生み、 十割勝つと驕りを生んで大敗する元になる
  • 弓矢の儀、勝負の事、十分を六分七分の勝ちは十分の勝ちなり。八分の勝ちは危うし、九分・十分の勝ちは味方大負けの下つくり也
    勝負事では、六分・七分の勝利が理想的である。相手に圧勝をしてしまうと驕りを生み、かえって危険である

 
以上、武田信玄の名言をまとめてご紹介しました。

武田信玄の名言は、いずれも素晴らしいと思いますが、

人や人の心を大切にし、日々努力を続け、謙虚であろうとする

そんな武田信玄だからこそ、多くの優秀な家臣が彼に付いていったのだと思います。

偉人たちの名言は、私たちが生きる上で多くの気づきを与えてくれます。今回ご紹介した「ガンジーの名言」の中であなたの心に残った言葉はいくつありましたか?