百戦百勝は善の善なる者に非ず
孫子の名言
今回は、孫子の兵法の一節で名言の一つでもある「百戦百勝は善の善なる者に非ず(ひゃくせんひゃくしょうは ぜんのぜんなるものにあらず)」という言葉について見ていきたいと思います。
「百戦百勝は善の善なる者に非ず」の一節
軍を全うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ。旅を全うするを上となし、旅を破るはこれに次ぐ。卒を全うするを上となし、卒を破るはこれに次ぐ。伍を全うするを上となし、伍を破るはこれに次ぐ。
このゆえに百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。
「百戦百勝は善の善なる者に非ず」は、孫子の兵法の第三章「謀攻篇」で出てくる一節です。この「百戦百勝は善の善なる者に非ず」の一節を現代語に訳してみましょう。
「百戦百勝は善の善なる者に非ず」の現代語訳
軍団を降伏させるのが上策であって、軍団を打ち破るのは次善である。旅団を降伏させるのが上策であって、旅団を打ち破るのは次善である。大隊を降伏させるのが上策であって、大隊を打ち破るのは次善である。小隊を降伏させるのが上策であって、小隊を打ち破るのは次善である。
だから、百回戦って百回勝つのが最善ではない。戦わずして勝つのが最善である。
これが現代語訳になります。
「百戦百勝は善の善なる者に非ず」の解説
孫子は兵法書ですが、戦って勝つ方法ではなく、まずは戦わずして勝つべきだと説いています。戦えば、たとえ勝ったとしても損害を受けます。連戦連勝したとしても、勝つ度に損害を積み重ねていけば、いずれは疲弊していくわけです。
百戦百勝したとしても、百一戦目で滅亡してしまっては意味がありません。
「真に勝つことは、自らの力を増すことであって、戦いに勝つことではない」ということを「百戦百勝は善の善なる者に非ず」の一節は教えてくれています。